こんにちは、武蔵野に生きるMiyabiです。
よくテレビなんかで企業で活躍する女性を取り上げるとき
「女性ならではの視点で○○さんはこのような提案を~」
って紹介ナレーションが入るじゃないですか。
あれに小学生の時分よりモヤっと違和感を感じてるんです。
これについて先週モスバーガーで思い出して、どこに違和感を感じてるのかについて考えてみました。
「女性ならではの視点」
「女性ならではの視点」って言われるシチュエーションとは?

「女性ならではの視点」って枕詞が付くシチュエーションって何だろう?
- 一般企業で働き、アイディアを出す立場にいる女性
- 女性向けの商品開発をする女性
- 社長をしている女性
このあたりを評価する言葉に多い気がします。
逆に看護師・保育士の仕事や家事仕事みたいに「女性がやっていて普通なもの」には、「女性ならではの視点」って付かない印象です。
「男性ならではの視点」って聞かない

「女性ならではの視点」があって、それが言えるのであれば、「男性ならではの視点」もあるはず。
でもこの枕詞って全然聞かないです。
「あれ、男消えた???」って思うくらい、使われません。
「○○ならではの視点」が使われるのは何故?

この「○○」に入る言葉って「女性」以外だと
- 障がい者
- 帰国子女
- 日本人
- 天才
- 学者
- LGBTQ+
- 特殊な技能を持っている人
のように、「こういう人ってここに少ないよね」って場面だと思います。
実際僕も音大出身なのですが、「音大生ならではの視点」って大学在学中よりも、卒業してアート作品を制作するようになってからの方が多い。
つまり「○○ならではの視点」の「○○」には、その集団の中での少数派の人の特徴が入るというわけです。
「女性」は少数派なのか?

障がいを持っている方や帰国子女などは、健常者に対して、または日本で生まれ育った人に対して少数なのは分かります。
でも「女性」って少なくなくない?
生物学的に50%じゃない?
僕が小学生のときに抱いた違和感ってここです。
これって、女性は男性に対して少なくないのに、何故か「何か」に対して女性が少ないってねじれが起こっているってことです。

そして企業で頑張る女性の仕事ぶりを紹介するときに「女性ならではの視点」って枕詞だけ付けとけばOK的な紹介のされ方は、その人がどのように活躍してるかの説明に足りていません。
だって「女性ならでは」だったらそこら辺歩いてる女の人に聞けばいいじゃん。
もし紹介される仕事人が男性だったら、「男性ならではの視点」じゃなくて、「科学者ならではの視点」とか「○○って国に行って5年間蓄積した経験を活かして」とか、もっとその人にフォーカスして紹介されるはずじゃん。
「女性ならでは」って言わざるを得ない構造

さて、では何故モスバーガーでこのことを考えたかって言うと、ちょうど美術手帖の片山真理さんの展示紹介の記事で
片山は、女性だから、障碍者だから、というあらゆる属性に対してレッテルを貼ろうとする世のなかに対し、どんなものでも「誰のものにもならない自由を持っている」と語る。
https://bijutsutecho.com/exhibitions/10447
って書いてあったのを読んだからです。
↓僕が以前書いた記事でも「女だから○○」「男なら○○」みたいな問題を扱ってます。
「女性ならではの視点」って言い方は、「女ならこうしろ」って言い方よりもマイルド、あるいはポジティブにさえ聞こえます。
が、そこには「メインは男性だけど、女性がそこにいるなら、女性が男性に優位にとれるのって「女性ならではの視点」だけだよね」って構造がどうしても見え隠れするよなってのがモヤモヤポイントでございます。
一方で、これを逆に読んでみると、「○○ならではの視点だね」って言葉が出てきたら、
「あ、今のこの業界(国・団体・システムなど)って○○を排除してるな」
って目印になるかも。

音大で防音の話しても普通だけど、不動産屋さんに防音の話をすると「音大生ならではの視点で部屋を探してるな」って印象持たれる。
これって部屋探しに不動産を頼る人たちの中で、音大生ってのは珍しいからだと思います。
全ての部屋を完全防音にしろとは言わんが、完全防音、あるいは楽器弾いてるの聞こえてもそんなに気にしない環境ってけっこうニーズがあるって分かる。
音大生以外でもこういう物件探してる人って多いし。
あとは美術や音楽、学者などの男性優位な業界で実は活躍してる・してた女性の評価・再評価の場面でも、ここら辺って考える必要あるよな~って思って見てます。
話しが逸れましたが、「女性ならではの視点だね!」って言って評価に満足していては、いつまでたっても女性の立ち場の向上、業界の転回ってないなって感じました。
それ以外にも見るとこたくさんあるから、そっち見ようぜ。
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